2018/12/16 【豊森なりわい塾】
「衣と布の地産を考える~ガラ紡の取り組みから」
今年も豊森8期の塾生の方々に「布の地産地消」「ガラ紡」「繊維産業の現在」についてお話をさせていただきました。
また豊森3期生のNさんと糸紡ぎのワークショップをさせていただきました。
とても熱心に聞いてくださり感謝です。ありがとうございました。
塾生の皆さんから感想をいただきました。
お話を聞いてくださり本当に感謝しております。一部を転記させていただきます。
↓ ↓
●過去の重要な産業であったのに、一度も学んだことがなかったのでとても良い機会になった。
●本当にいいもの、安全なものをこだわって、というのをすごく感じた。体からバンバンいいパワーが出ている人であった。本気布=マジギレて良いネーミング。こういうものを身に着けたいから選択して広まるように応援していきたい。
●全てガラ紡でできたら良いのですが、効率性を考えるとダメなんだなぁと思いました。
●素材→糸→布→服という工程がいかに大変か、それを効率化し、低コスト化してきた結果、生産現場が海外に出ていってしまったということが理解できた。
●衣について深く知るきっかけをいただいて本当にありがたいと思いました。着心地やデザインは気にしても、どう作られるかに対しては食以上に知らなかったなと思い知りました。代々つなげるような服を今は全く持っていないので、そういう目線で服を考えてみたい。
●稲垣さんのおもしろおかしい話しの中にシリアスさも感じました。これからの「糸へん」の仕事について、マジに考えていかないと!食についで、衣は人間の生活の中でかなり重要、考えていかないことなのに、食の健康は考えるけど、衣の健康を考える人はまだまだ少ないと、ある衣料関係の会社の代表をされている方の話しを思い出しながら聞いておりました。
着るものについても自分たちで考えていかないと、何を着るか、何を買うか、海外のいけないものばかりを身につけて、知らない間に不健康になってしまう・・・。
●木綿の歴史から学べたことで、人々が時代ごとに大事にしてきたことが違うことが分かりました。今から、変えていけることがある!!と本気布(マジギレ)した稲垣さんの思いが伝わってきました。
これから何を選んでいくのか、(衣服について)考えていきたいと思います。
野々山さんの”今”を知れて、また1人卒塾生の話を聞けてありがたかったです。
いただいた種を、5月10日(コットンの日)あたりで植えようと思います♣
●糸へんの業界の話から、西南戦争のとき東京で勧業博覧会が行われていたことなど、初めてきくことばかりで、とても興味深くおもしろかった。
お店にいけば、いっぱい並んでいる服たちが、糸になり布になり縫製されて、という実はものすごく分業された工程(ほとんど気の遠くなるような工程)でできあがっていることにあらためて感謝。
●繊維業が斜陽産業ということは知らなかった。また、こんなに分業されているとも知らなかった。また普段着ている服がこんなに手間のかかるものだとは知らなかったし、昔は手作業で本当に大変な仕事だったんだと思った。
あまり繊維の種類を買わず、値段で買ってきていて、自分の選択基準について考えさせられる。自分の本業にしても、ちゃんとそのモノの価値を伝えるのは大事。
●明治時代について授業する側として、今回のように日本の産業の移り変わりについて当時と現在をつなげて受けられる授業だったらいいのにな…と教育者の視点でいろいろ感じるものがありました。“綿”という身近なものなのに知らないことだらけで大変楽しかったです。
●ガラ紡について知ることができてよかった。
●知っているようで知らないことがわかりいいお話でした。豊田市周辺は繊維の街だったということでしょうか?
●糸を作るということは、大変なことだと、あらためて考えさせられた。
衣・食・住のうち「衣」を自分で作れば、何があっても生きていけるなと思いました。
もちろん「食」を自給するとした場合。「衣」を自給・地産することが、災害とかにも強い地域になれるかなと…。
●状況としては、とにかく大変なのかなと。その中でもひたむきに頑張ってこられた稲垣さん、
そして野々山さんに細くても長くそして楽しく続けてもらえたらと願います。
●綿が布になるまでの工程が、そんなに分業化されているなんて知らなかった。この工程に疑問を抱いて、きっぱりと今のやり方に変えられたということ、すごいなと思った。
●自分はよくファストファッションの店を利用するが、考え方を変えるきっかけになった。
手間をかけて作られた天然繊維の方が体にやさしいと思うので、そういう布を使うようにして
いきたい。
●・ガラ紡という言葉を初めて聞きました!綿織物に西洋と和が
あることを初めて知り、衣類の材料の奥深さを知りました。
・衣は、細かい分業体制ができていて、今でもその分業体制を
続けていることが、とても驚きでした。